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「きったねぇ頭」初対面の哀川翔にケンカを売り、頭突きで鼻を…俳優・中野英雄(59)が振り返る、ローラー族との路上対決

中野英雄インタビュー #1

2024/03/09
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中1でグレたきっかけは釣りだった

――いつまで中野区大和町に。

中野 小4までです。子供を連れて別居していたから、いわば母子家庭でしょう。食べるものがないなんて日もあったりして、本当にきつかったですね。小4で親が離婚して、小5から親父に引き取られて阿佐ヶ谷ですね。

 

――グレ始めたのは、中学からですか。

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中野 中1から。小学校までは、全然普通の子供でした。

 グレたきっかけは、釣りだったんですよ。いまはやらないんですけど、小学生の頃に釣りが好きで。おじいちゃんから古い竿を借りて、500円をもらっては、友達と寿々木園って釣り堀に行ってたんです。週イチでそこに行っていたら、I君というテキ屋さんの息子がいて。彼は中学生で、釣りがうまくて、僕らの釣りの師匠としていろいろ教えてくれてたんですよ。

 そのI君のお兄ちゃんが、マッドスペシャルって暴走族の総長をやってて。中学に入ってから、浮きなんかをもらいにI君の家に行くと、暴走族のフラッグとかステッカーがバーっと貼ってあって「なんじゃこりゃ?」みたいな。矢沢(永吉)さんのLPもあって「これ、なんですか?」「矢沢。聴いてごらん」って、聴かせてもらったり。そうやって、だんだんとそっちに寄っていって。

ファッションとして暴走族やツッパリが流行っていた

――時代的にも、暴走族やツッパリが流行っていたという。

中野 ファッションとして流行っていたんですよね。昭和53年とか昭和54年ですよ。1本目の『3年B組金八先生』(TBS・1979年)が始まった頃で、あのなかにも出てくるじゃないですか。

 

――「学ラン長ラン大混ラン」ってエピソードがありましたね。マッチ(近藤真彦)が、長ランで学校に来て騒動が起きるという。

中野 まさに、あんなノリでしたよ。『金八先生』のマッチもそうだったけど、僕らもどこかバチッと決まっていない。情報はちょこちょこ聞いているけど、「もうちょっとで不良なのに……」という中途半端な感じでね。いろいろやっていくうちに、だんだんと仕上がっていくんですけど。

――私服なんかも、そっち系になるわけですか。白のハイネックにトロイのカーディガンを羽織ったりとか。

中野 中学に上がると、ジーパン穿いたりとか、そっちのほうに行くじゃないですか。でも、僕はジョーゼット生地のトップスにスラックスとかね。ちょっと、ヤクザルックというかね。網のサンダルとか餃子靴を履いて。