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「恋愛感情が全くない」女性が友人と同居を始めたら…“恋愛や結婚じゃない関係”は終わってしまう運命なのか

「恋愛感情が全くない」女性が友人と同居を始めたら…“恋愛や結婚じゃない関係”は終わってしまう運命なのか

『今夜すきやきだよ』

2023/03/17
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『今夜すきやきだよ』がこれまでのドラマと“違う”部分

 食事を作る側と食べる側という関係でいうとドラマ『作りたい女と食べたい女』(2022年11月29日~12月14日)を、また、ともこと同じくアロマンティックや、アセクシュアルなどAスペクトラムである人々を描いたドラマといえば『恋せぬふたり』(2022年1月10日~3月21日)を想起させる。

 しかしこの2作とは違って、『今夜すきやきだよ』はあいこがアロセクシュアル(他者に性的に惹かれるという性的指向)であるという点で、はじめから「終わり」を予感させる。異性愛規範の強固なこの社会に生きている視聴者側も、恋愛体質というあいこが結婚を夢見ている以上、いつかともことの生活から出て行くのだろうと考えるのが「自然」だからだ。

 異性と恋愛をして、結婚をし、子どもを作って生み育てるのが当たり前という異性愛規範の家族主義を内面化している人たちがほとんどの日本社会で、ともこのように「早く恋愛できるといいね」「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」そんなふうに言われて傷ついた経験は、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルやパンセクシュアル、アセクシュアルなど、性的マイノリティの人々にもきっと多くあるだろう。

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 このドラマは、ことさらに差別や偏見を描かないけれど、そういった苦みを取りこぼさない。

『恋せぬふたり』の主人公たちは、「男女がいっしょにいたら恋愛や結婚をする関係」と、外側から見なされる一方で、逆にその点さえ我慢できれば社会に同化できてしまう。もちろん決めつけられるのは不当で、社会側がその「当たり前」を問う必要がある。

『今夜すきやきだよ』でも、ある日ともこが、専門学校時代からの友人でライターの村山しんた(三河悠冴)と歩いているとき街頭アンケートに声をかけられ、見た目だけで「カップル」「夫婦」と判断され、憤るエピソードがあった。

 また、『作りたい女と食べたい女』は、おいしそうな食事のシーンがあり、(別々の部屋に住んではいるものの)困ったときに支え合える関係性が描かれる。しかし、女性から女性への親密な感情が示唆され、レズビアン、あるいはバイセクシュアルやパンセクシュアルの女性としての共同体の可能性が描かれているという点で、『今夜すきやきだよ』と同じようで、微妙に異なる物語だ。

『作りたい女と食べたい女』NHK公式サイトより引用

 想像してみてほしい。トイレットペーパーは無くなったら買わなければいけないし、磨かないと浴槽には水垢が残るし、シンクやゴミ受けだけでなく排水管も定期的に掃除しないと詰まるし、寝床のシーツや枕カバーも洗わないと汗や皮脂から雑菌が繁殖して臭いも出てくる。生活にまつわる雑貨や食材がネット注文で配送されたり、家事代行という外注もできる時代とはいえ、それも誰かが担ってくれている。人は、ひとりでは生きていけない。

 愚痴をこぼしながらでも、なにを話してても作れるのがいいところだと言う、料理好きのともこだが、フリーランスで収入が不安定なこともあって、広くて充実したキッチンの部屋に引っ越す金銭的な余裕がない。一方、家事が苦手なあいこが、2LDKで一部屋空いている自分の家での共同生活を持ちかけるのは、決してありえない話じゃない。

 ドラマの序盤、同居するうえでの家賃・光熱費の負担割合や家事分担を、あいことともこは話し合う。生活に関わる金銭や家事を労働として可視化するような会話がされる点で、『今夜すきやきだよ』はドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年10月11日~12月20日)の延長線上にある。

 また、フェミニズムの議論における、異性愛規範の家族主義を支える家父長制の形態として、男性を稼得者とし、女性を、稼ぎに出る夫を支えるためのケア労働の担い手として不可視化してきた、社会構造上の差別を批判し、暴いてきた歴史にも連なるドラマだともいえる。

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』公式Twitterより引用

 婚約破棄後に、仕事を通して知り合い、しばらくして付き合うことになったばかりの杉浦ゆき(鈴木仁)からも、「手料理が食べたい」とあいこは言われる。あいこが葛藤するのは、元婚約者との破局のきっかけになった話題であり、伝統的に「女性は料理を含む家事(・育児)を担うのが当たり前」という価値観にずっと自己否定をされてきたからでもあるだろう。

 家事というケア労働が女性にばかり課されてきたジェンダー規範について、このドラマは、あいことゆきの価値観の差と対話によって、乗り越えようとする姿を見せてくれる。

 このふたりのやりとりが、あいことともこの共同生活とも影響し合うから、さらに深みが増す。

 あるエピソードで、皿洗いや植物の水やりといった作業の細部が気になってしまうゆきに対して、あいこは家事代行を提案する。ゆきはときどき頼む程度の想定で承諾する一方、家事が苦手なのにがんばった結果キャパオーバーになって、毎日お願いしたいくらいのあいこは疲れを感じていた。一方ともこは、お互いの仕事が多忙な時期に同じ提案をされると、すぐ「ありかも。実際どんな感じなんだろう」と応じる。

 恋愛・結婚を夢見るという点では規範的なあいこが、一方で、その規範に苦しめられてきた自分の話を聞いてもらえた、許容して肯定してもらえたという面でも、あいこにとってはきっとそういう返答が必要だったようにわたしには見えた。